なぜ再生 ?

 彫刻の再生現場で作業をしていたある日、幼稚園の女児が二人近づいてきて言いました。
「おじちゃん、なにしよん?」
「これを奇麗にしてるんよ」
「うん、汚いもんな~」
思えば彼女達にとってこれらが彫刻であるという認識はともかく、「きたないモノ」「怖いモノ」であったようです。

彼女達、新しい彫刻などは生まれてこのかた街中で見たことが無いのですから.....。

('85~'88が各団体による彫刻の寄贈の盛んな時期で、バブルのピークにむかって突き進んでいた頃です。)

現在、私たち大人は「不景気だから・・・」と当然のように、放置された彫刻から目をそむけ、(存在して)無いことにする術をおぼえているにすぎません。

 彫刻を再生するということは、決して派手な作業ではありません。設置当時の技術、仕上技法などを推測しながら。

こつこつと作業を進めます。時間がかかります。しかし、有難いことにこの時間が、作品やその時代と対話をする機会を与えてくれます。

会ったことのない作家の想いを汲み取ったり、設置された時代の気配、寄贈慈善団体や財界の力関係まで様々、見えてくるものがあります。(設置場所や作者の知名度などから容易に想像されます)

そして思います。

 岡山という地方都市のSTORYが作品に内包されています

 街中に点在する彫刻はいわば「タイムカプセル」です。

全国的な知名度のない作家の作品でも優れた作品は多くあります。

いつもあの銅像の下で、おばあちゃんと一緒にアイスキャンデーを食べた」などといった記憶にしっかりと刻まれています。時はその孫がおばあちゃんになっているかもしれないほど経過しているのに、作品は30年間、一度もワックスさえ塗られていないばかりか、鳩の糞(に含まれる酸)によって腐食が進み、とても恐ろしい顔になっている......

これらをきっちりとメンテナンスして、次の時代へ渡す。

そうです。これらの彫刻達は裸像批判のWOMAN's LIBや高級観光看板批判という荒波をのりこえて30年以上も存在してきたのです。

腐食による劣化を抑え、表面を整え、街ゆく人に「良いもんだな」と思ってもらえる状態にしたい.....と。

 

 では、「今は?」・・・・・各自治体主導の野外美術展が多く開かれるようになりました。

これは、各自治体が文化的なイメージでありたい.....という願いを持ちながら、

街中の作品は手入れの仕方も解らないし、美術作品であるが故に下手に手出ししたくない。寄贈団体にメンテナンスして欲しい.....といった問題があったでしょう。

 

 野外美術展なら、作品は会期が終われば作者がもって帰るし、このような問題から解放される.....。

そして、地元の作家が主要メンバーとして仕切ってくれて、なおかつコストも掛からない......。

ふりかえれば、言い換えれば、これらの野外美術展は、作家のアトリエにテンポラリーな作品という粗大ゴミを残し、

芯となる作家が作家仲間に「借り」を個人的に作るという自己犠牲の上に成り立っていること。

 自治体や主催者は集客や来場者数に気をとられますが、人が集まって何かが生まれたか疑問です。これらの検証は正しくなされていないことは明らかです。

来場者数については、1ゲートで勘定するか多ゲートで勘定するかであきらかに異なります。

最近は多ゲートで勘定するタイプが流行ですが、これらは単純に「数のマジック」でしかないのに、さも大勢を集客したように公表されています。

来客も開催場所が違えど、訪れるのはいつも同じ人たち......というのが事実です。遠からず飽きられます。

はっきり言えます。「アートによる街づくり」として多くの野外美術展は幻想です

(しっかりとしたプランと予算に基づいている場合は別です)

経済効果としての乗数効果もゼロもしくはマイナスです。「アートによる街づくり」はアートのみでは無く、他のジャンルの芸術や食や商いと有機的に結びついて初めて効果が顕れます。

 このような「アートを食い散らかす行為」がいつまでもつづいて良いはずはありません。
アートの世界の住人は、続く世代への責任も意識する必要はあると考えます。

小さな一歩ではあるけれど、前述の幼稚園児たちにたいする責任。彼女たちが美術を嫌いにならないように....
少なくとも、可愛く制作された「少女」や「少年」などの彫刻は「可愛いい状態」にする必要はあると思います。
妖怪の様ではいけないと思います。


「街のコンテクスト」を大切にしないと「街の矜持」は保たれない,,,,,

だから、

貴重な街の記憶としての資産である彫刻(アート)を大切にし、市民が愉しみ、次の世代へ繫ぐことが大切だと考えます
美術品ではあるが、それだけじゃない!!  思い出であり記憶なんだ!!
メンテナンス作業をしていると多くの人にねぎらいの言葉をかけられます。うれしいです。
ほとんどの人は、これらの彫刻が著名作家によるものか否かをしらないし、そのことに興味は無いようです。

しかし、街中の彫刻が奇麗であることは素直に喜んでくれます。

彫刻がきっちりと保たれていること......そのことが街の品格に寄与することを願います。
だから、彫刻再生はつづきます。

いかに再生 ?
「街中に在る」ということは「みんなの彫刻」であるといえます。

その再生作業をするにあたって、思いつきや自己満足があってはならないものと考えます。

客観性を常に意識し、良識と現実を照らし合わせながら再生作業を進めています。

私たちの彫刻メンテナンスは次の2つの前提に行われております。

(1) 作品・作者に敬意をはらい、制作意図を汲み取り、愛情をもって作品に接すること。

(2) 街中ということから、美術愛好家のみならず、一般人にとって美しいと感じるよう仕上げること。


上の二項目を前提に次の様なメンテナンスを行っております。

ここでは、ブロンズ彫刻について述べます。


手法

作品の多くは制作年度、鋳造工房、表面の仕上法が不明で、また、設置場所や制作年の

新古によってそれぞれ異なり、メンテナンスの実施に掛からないとその対処方法の見極めが

難しい部分があります。また、多くの場合、鋳造時で作者の手を離れますので、作者自身も

鋳造や表面処理についてあまり詳しくない場合もあるようです。


基本的に真鍮ブラシによるブラッシングです。真鍮はブロンズ(青銅)よりも柔らかく、

ブラッシングを施すことによって、汚れを本体を傷つけることなく効果的に清掃できます。

また、一部の緑青も取り除くことができます。これにより制作時本来のプロンズの仕上が

顕れます。


オプション(1)

制作時の初期皮膜のダメージが少ない場合は、固形ワックスを塗布いたします。

低い場所にある作品は、手で触れてもらう、また近所の人に布で拭いてもらうと

いったことを期待したいからです。


オプション(2)

公園等に設置された作品の多くは鳩の糞に侵されています。これは鳩の糞の白い部分である尿に

含まれる酸になって腐食が始まりますが、概してそれらは同じ場所を流れますので、酷い場合は

シロアリに食われた樹木のように、その通り道が掘れて腐食が進みます。

こうした鳩が特に多い場所、作品が高所にあり度々のメンテナンスが困難な作品には

特殊フッ素樹脂を塗布いたします。耐候性・耐酸性に優れたもので、腐食を止める効果があるばかりか、

鳥糞が雨によって流されるという利点もあります。

欠点があるとすれば一つ。艶が出ます。この艶が作品によって不似合いな場合は表面に軽く、

艶消しクリアーを吹きつけます。この場合、鳥糞が雨で流れるという効果は若干弱まります。

それぞれの作品、設置場所によって、良く吟味して表面処理を決めます。


オプション(3)

一番手を焼くのは、初期、もしくは途中にペイントがなされていて、それらが経年劣化し、

部分的に残り、さらに樹液や鳩糞との複合的に劣化している作品です。

このような作品については、丁寧にブロンズ素地まで皮むきをします。奇麗に皮むきがなされたら

時間の経過を待ち、程良い色あいになるのを待って(2)を施しますが、前述の劣化ペイントが部分的に

邪魔をし素地が顕れない場合があります。この場合は再度ペイントをするしか方法がありませんので、

ペイントをしその後(2)の処理行います。尚、(3)の実施については、作者現存の場合は作者に、

物故の場合は、県文化連盟、県美術家連盟、岡山彫刻会の重鎮の方々に相談の上行われております。


以上がプロンズのメンテナンスの実施方法です。


パブリックアートを蘇生する会/池田美術事務所

 

池田靖嗣

 

この項目の文責は全て、池田靖嗣にあります。

ご意見、苦情などはお知らせください。

また「私の街の汚れた彫刻」のお知らせください。